プロフィール

profile

Naoko

1981年8月生まれ

血液型:A

 

●こどもの頃のわたし

小さい頃は、一人っこ気分を大満喫しているとても天真爛漫で自由な子どもでした。
お人形遊びが大好きで、草花や小さい虫たちと触れ合う毎日に、とても喜びを感じていました。

 

私が見る世界はとてもカラフルで美しい色や音に溢れていて、自分の生きている世界、自分が見ている世界が大好きだったのです。

 

でも、4歳年下の妹を母が妊娠した時。
その妊娠に気づいた私は、人生初めての「絶望」と「拒絶」の体験を味わいました。

 

いつものように手をつないで隣を歩く母の中に、何者かがいる、ということが瞬間的にわかったのです。

もちろん当時は「妊娠」なんて知識もなく、
ただその存在が私を脅かすような感じがしていて、小さな私は大きな恐怖を感じていました。

そんな妊娠している母に「だっこ」をおねだりしたところ、「お姉ちゃんになるのだから、今抱っこできない」

そう言われてしまったのです。

 

その生まれて初めての拒絶の体験は、私にとって「私は、我慢しなければならない」「私は甘えてはいけない」、当時はそれが永遠かに思えるようなほど、太く大きなものとして私の中に生まれた感覚でした。

 

 

 

 

10代の頃のわたし

小学生、中学生と私の生活は、子供なりに勉強と音楽に追われる毎日でした。
すでに、「しなければならない」ことをたくさん抱えていて、
たくさんの「やらなければらない課題」があって、あまり「遊ぶ」ということを楽しんだ記憶がありません。
もしかすると、「しなければならない」ということが前に出すぎていて、「遊ぶこと」に対しての罪悪感をすでに感じていたのかもしれません。

でも、一方では、とても好き嫌いがはっきりしていて、

自分の意見を子どもなりにしっかりと持っている、いざと言う時には自分で驚くほどの主張ができる子どもだったような気がします。

 

そんな両極端な側面を現す生活の中で、
小さかった頃、美しい色と音に溢れていた世界は、すでにその頃にはグレーがかっていたのだと思います。

白黒はっきりしながらも、その間で揺れている、他の色を捉えきれないような側面を持っていたのかもしれません。

 

でも、両親の影響で、芸術的なものに触れ合う機会はたくさん与えてもらっていて、
私の感性はそれによって消えることはなく、磨かれ続けてきました。

当時触れた芸術には、私が当時見失いそうだった美しい「色」と「音」が存在していました。

そんな、外側で触れる「カラフルさ」が当時の私にとっては大きな刺激であって、支えだったのかもしれません。
そして、10代の頃の私の夢はデザイナーになることでした。

色を失いかけていた私は、外側の世界に「カラフルさ」を求めて、そんな世界に大きな憧れを抱いていたのです。

 

 

 

 

高校生のわたし

「自由」を求めて、自分でもよく頑張ったと思えるほどの受験勉強をした甲斐あって、私は第一志望の高校へ入学しました。

でも、志望校を決める段階から、両親は普通高校への進学を強く希望していて、その反対を押し切っての高専への進学でした。

私が進学した高専は、受験の段階から専門分野を決めなければならず、自動的にその専門分野への進学や就職が暗黙の了解のように決まってくる学校です。
でも、当時の私にとって何よりも「自由」という校風に重きを置いていたので、正直、そんな専門分野を選択に関しては、あまり重要性を感じていませんでした。
実際、私が望んだ「自由」というものは一見手に入ったかのように思えるほど、楽しい学校生活でした。
・・・勉強以外を除いては。

 

でも、自由を手に入れたかのように思えて、それは一時的に与えられたような、環境によって生まれた、守られ、そして閉ざされた自由でした。
そんな守られた「自由」を感じながら、真の自由とは、環境によって手に入るものではないことに気がつき始めていました。
また、学業の面では、私は「情報電子工学」というハードとソフトを学ぶ、という今でこそ見事な選択だとは思うのですが(笑)
その時、すでに「ひとつの物事」を全く違う側面からすでに学ぶ、二極の世界を学ぶことを行っていたのだな・・・とこんなにも時間が経ってから気がついています。

 

もちろん、その中身には興味を持つことができず、高校2年生の時すでに、進路に関して学校カウンセラーの先生に相談をしていました。
・・・それが、私の「心理学」という内側の世界との出会いです。

 

 

 

 

内側の世界へ

「心理学」という学問に出会った当初、「心理テストのようなもの」という知識しか持っていなかった私は、当時たくさんの心理系の本を読みました。
フロイトもユングも、そしてシュルツも。
読書嫌いだった私にとって、驚く程の読書量だったと思います。
逆に、学校の授業で「数字」ばかりを目にすることが多かったおかげで、本の知識がとても新鮮で入ってきやすかったのかもしれません。

 

 

 

 

「19」の時の私の転機
高校2年の時から数年間、高専を辞めたいと思いながらも両親に反対されていて、
何よりも「辞める本気の覚悟」というものができていない自分が実際にはいたような気がします。
でも、そんな覚悟のできない私に覚悟を問われるような瞬間は突然やってきました。
ある朝、
目が覚めると、全く起き上がれない、驚くほどの頭痛と身体のいろんなところの痛みで、動くことができなくなってしまったのです。
すぐに病院に行って、いろんな検査をしましたが、病名がつくような病気は見つからず、
ただ、血圧が20程に下がっていたこと。
それによって、心臓は動いているけれど、肉体も思考も何もかもが動かない状態になってしまっていたようです。

 

当時、私は病院のベッドで、何度も幽体離脱のようなものを繰り返しながら、ひたすら涙を流していました。
なぜ、自分が泣いているのか。
何を悲しいと思っているのか。
そんなことも全く考えられないほど、私はまるで呼吸をするのと同じように、涙を流す毎日でした。
きっと、私はあの時、この人生を終わらせる選択、つまり死ぬこともできたのだと思います。
幽体離脱を何度も繰り返し、この人生についての覚悟を問われていたのかもしれません。
でも、私は死ぬことを選ばなかった。
でも、何度もそこを揺ら揺らとしながら、その揺れの中で私はそっと静かに中心に軸が定まる「その時」を待ったのです。
どれくらいの期間、私が病院にいたのかはわかりませんが、
その中心に軸が定まるとき、それは結構予想よりも早くにやってきました。

 

あのとき、私が決意したこと/覚悟したこと。
それは状況とか進路とか、将来の夢とか職業とか、そういった類のものではなく、
ただ、自分の人生を生きるのだ、という全くその内容が何なのかは当時わからずにいたけど、全てがそれに含まれていて、
ただ、「新しい自分として生まれ変わった」瞬間でもありました。

 

 

 

 

  ●イロトリドリの世界へ

生まれ変わった私は目まぐるしいほどに現実が変化し、高専を中退し、念願の心理学を学ぶため、大学に進学することが決まりました。
それも希望どおり、ユング派の先生たちに恵まれている学校でした。

 

自分の中心というホームに帰った私は、制限とトラウマによって抑圧されていた生まれ持った感覚的なものや感性は少しずつ息を吹き返しはじめました。
色のなかった私の世界に少しずつ色がつき、日本の季節に四季があるように、私の心はその「温度」を感じれるようにもなってきたのです。

 

高校時代、全く勉強に興味が持てなかった私は、「心理学」という新しいことを学ぶことが楽しくて仕方がない反面、
全ての実験や実習において、まずは自分が被験者とならなければならない為、子供時代からの自分を理論的に統計学的に解明していかなければならないことに大きな苦痛も味わいました。
きっと、「心理学」という分野に触れなければ、知らなくてよかったことがわかったり、
もし、臨床の知識を持たなければ、理解することがなかった自分の潜在的な感情や記憶にまでたどり着くことも多く、4年間の中で感じた絶望は一度や二度ではなかったと思います。

 

 

 

 

憧れの地で

大学1年の時、唯一高専時代に好きだった英語の勉強を頑張ったおかげで、ロンドンに留学することができました。
実は、大学に進学する際、「心理学か、英語か」という迷った時期もあって、英語に関しては、現地で学びたいという結論に達していたのです。
そして、子供の頃からデザイナーになりたかった私は、ヴィヴィアン・ウエストウッドが大好きで、高校の頃から、絶対にロンドンのヴィヴィアンの本店に行きたい!という密かな私の願いもありました。

 

なぜ、アメリカではなく、イギリスだったのか・・・・
これはよく聞かれるのですが、
私は高専時代、放課後英語を教えてもらっていた先生はイギリスのケンブリッジ出身でイギリス英語を話されていました。
通常、日本の学校ではアメリカ英語が主流になっていますが、私にとってイギリス英語というものが、案外その頃からしっくりきていたのです。
そして、これは後から気がついたことですが、
「スピリチュアリズム」・・・これはイギリスが発祥の地です。

そんな現地で出会った友人から私は、「フェアリー伝説」話を当時聞きました。

・・・全て草花、自然の生き物には精霊や妖精が宿っているのだと・・・・

その話は、まるで私が子供の頃見ていた世界、触れていた世界の話でした。当時は、それを親に話したことによって、私は隣の県ににある大きな病院に連れて行かれ、あらゆる検査をされた経験がありました。それがトラウマとなり、私はそれ以降、妖精や精霊、天使の話なんて口にすることを止めていたのです。

でも、遠く離れたイギリスの地で、その話を耳にしたことによって、小さい頃の自分や自分がいた世界がやっと肯定されたような、満たされた感覚に包まれたのです。
そういった意味で、私は「イギリス」という国に呼ばれていたのかもしれません。

 

 

 

 

違いの中で知る私の側面
私がロンドンへ留学したのはちょうど「9.11の同時多発テロ」がニューヨークで起こった年で、その日、私は同じ語学学校の友人たちとパリに遊びに出かけていた日でした。
ロンドンのホームステイ先に帰ると、テレビではどのチャンネルでもテロのニュースを放送していて、
ステイ先のパパとママは、ニューヨークに親友が住んでいて心配だから今から船でアメリカまで行くんだといって、大きなスーツケースに旅の準備をしていました。
私は目の前で起こっている数々の出来事に心底驚いていて、テレビの報道のやり方も、そしてステイ先のパパとママの判断も、何から何まで「日本との違い」、「それまで私が持っていた価値観との違い」というものを大きく実感していました。
そして、その驚きはそれだけでは留まらず、テロ発生翌日の新聞の一面を見て、私は「イギリス」という国、そして「イギリスと日本の違い」、「日本という国」それらを理解するきっかけとなったのです。
テロ発生翌朝の新聞の一面・・・・・

大きく取り上げられていたのは、テロ現場にあった「愛」のお話でした。
テロの現場にあった愛のストーリー、そして全ては愛なのだというメッセージで記事は締めくくられていました。
私は小さな頃から人との違い、価値観の違い、見方の違い、いろんな「違い」に触れてきたけれど、これほど「違い」というものに心を揺さぶられた体験は、この出来事が人生初だったかもしれません。

イギリスに滞在している間、いろんな文化との違いや習慣の違い、あらゆる違いの中で自分が「日本人」であるということを外側から学びました。
中でも、テロというショッキングな出来事の中から、たった一つの愛のストーリーを拾い上げてきたイギリスという国、その新聞社やその記事を書いた記者に、言葉には言い表しようのない「何か」に気づかされたような気がします。

 

 

 

 

臨床心理士を目指して
大学に進学し、望んでいたイギリス留学の夢も果たし、
一時スムーズかのように思えた大学生活もある出来事によって、何かの歯車が狂ったかのように少しずつ色を取り戻した世界が太陽が落ちるように暗くなっていきました。

 

それはある事件によって。

 

当時、臨床心理学の講義で、全く腑に落ちない理由で教授に嫌われてしまい、単位をもらえない、単位を与えないと脅されるパワハラの事件に遭いました。
それによって、論文や課題等で全く自由な表現や主張が許されない状態となり、ただ単位取得だけの為に、その納得のいかない教授の主張に従わざるを得ない状況だったのです。

 

今でこそ、それが幼少期から私が抱えていた課題や癒されないインナーチャイルドの問題、そして過去世でのトラウマやカルマが生み出した現実なんだと理解ができるのですが、
当時は、臨床心理士という職業だけでなく、対人関係において大きな不信感を抱くようになったのです。

 

その出来事が起こった当時、私は大学院進学の為の通信教育を受講していて、臨床心理士を目指していました。
でも、皮肉なことにその教授が臨床心理士として権威ある立場にあったこと、そして大学院進学に関しても、教授のサポートが不可欠であったこと、その道が閉ざされてしまったことに私は大きなショックを受けました。
臨床心理士やカウンセラーという職業の闇の部分に触れてしまったのです。

 

 

 

 

 いつでも、何度でも

臨床心理士への道と大学院への進学を諦めた私は、同時に、自分がとても「人」というものに恵まれている現実に満たされていました。
人間不信になりながらも、そんな時でも、支えてくれる友人や信頼できる人たちがいて、結局それは同時に現実に創造されている、ということを当時からなんとなくわかっていたのかもしれません。

 

もし、一つの扉が閉じてしまうことがあったとしても、
また、道が閉ざされたように感じることがあったとしても、
必ず、新たな道が開かれていく、そのことを心から実感できるようになった大学時代の体験でした。

 

 

 

 

コーリング

大学卒業後、アパレル会社に就職をし、地元の百貨店に勤務していた私は、とても自然な流れからいつしか、「カウンセリング」というものをさせていただくようになり、
店舗の顧客の方を通していろんなクライアントさんとのご縁をいただくようになり、会社員として働きながら、電話でのカウンセリングを行っていました。
ちょうど同じ頃、同じ業界の方の紹介によって、「ヒーリング/エネルギーの世界」との出会いがあり、地方に住んでいながらも、こんな世界に通じることができるのだ・・・と驚くような方たちとのご縁が続いていきました。
同時に、イギリスを拠点にもつ「英国スピリチュアル協会(SAGB)」との出会いがあり、私は本格的に「スピリチュアリズム」ということを学ぶことになったのです。

 

 

 

 

過去の私を旅する

関西在住の彼とのご縁をいただいた私は、関西に引越しをし、結婚に向けての準備を行っている最中でした。
でも、関西に移り住んだ頃から、私の病気が見つかったり、何かの歯車が狂い始めていたのです。

 

何をしても、自分ではよくわからないような感覚や感情に飲み込まれたり、今を生きる自分が何かに覆われそうになるのを感じながらも、
それが何なのか、自分に何が起こっているのか、当時はそのことをはっきりと認識することはできていなかったと思います。

 

後からわかったことですが、
当時、婚約をしていた彼は私の過去世での主人で、私は一緒に住み始めたことによって、当時(過去世)で抑圧していた感情が一気に浮上していたのです。
結果として、結婚までスムーズに行くことはなく、九州に帰ることになったのです。

実家に帰ってきた後も、一度蓋を開けてしまった「過去への旅」は続いていて、ひたすら過去を癒す、感情的な側面を癒す、ということを行なっていました。
とりあえず、芋づる式のように出てくる記憶や感情に歯止めが効かなくなったような状態で私が深くで癒したいと願った感情は次から次へと溢れるように浮上してきました。

そして、やっと「今を生きる」というゼロポイントに帰って来たのです。

 

 

 

 

ヒーラーとして

当時、関西にいた頃からご縁のあった関西のシャーマンの方に師事していた私は、九州に帰ってきた以降も指導を受け続けていました。
そして、2007年ブログを書き始め、ブログを通してご縁が繋がっていく方々をメインに有料でのヒーリングの提供を始めたのです。
その後、私が住んでいる地元でも、いろんな方のご紹介によってヒーリングをさせていただくようになり、当時は医学的な病気だと診断された方の遠隔でのヒーリングが主でした。
もちろん私には、医学の知識なんてなく、宇宙が許可する限りのヒーリングを行った結果、医学では完治することや治療することが難しかったクライアントさんの症状も完治したり、症状が軽減されたりと、
次々にミラクルな現実を体験させていただきました。
そんなことから、病気の方の遠隔ヒーリングをお受けするのと同時に、対面セッション(カウンセリング)も開始したのもちょうど2007年頃だったと思います。

 

 

 

 

ライトワーカーへの道

当時、師事していたスーパーバイザーから、ある日突然「あなたは、ヒーラーというよりもライトワーカーね!」と言われた私は、
正直、「ライトワーカー」というなんだかその言葉の重みを負担を感じている自分がいました。

ヒーラーというと、「ヒーリングをする人」というなんとなくお気軽な認識で、
「ライトワーカー」というと、なんだか大きな役割や使命を担う人!のような当時の認識だった私は大きな重圧を感じてしまっていたのです。
その後、いろんな体験や挫折も経験しながら、
私自身の癒しや変容と共に、私の「ライトワーカー」への認識が変化し、
それがとても自分に馴染むようにもなりました。

人間として生きていながら、真実を求め続けながらも、
生き方とか在り方とか存在感をもって、周囲にちょっとした影響や刺激を与え続けていく存在。
その「生き方」という力の抜けた状態、自分らしく存在できる在り方が大切なのだと、深く理解できるようになったのかもしれません。
もちろん、今でもたくさんの「初めて」に直面し
未熟な自分を感じながらも、そんな自分にさえも愛を注げるようにもなりました。

ただ、自分として生きている、
ただ、自分として生きることが、とても大切なのだと感じています。

 

 

 

 

ご縁に恵まれて

有料でのセッション/ワークをご提供させていただくようになり、今年2017年で9年目に入りました。
これまでご縁をいただいた数の把握は全くできておりませんが、
いろんな方面から、いろんな地域の方から、その瞬間、最善の時にご縁が繋がるようになっていることに感激をしたりすることも多いです。

また、セッションを通して、目の前で起こる変化やクライアントさんの変化に直面し、
とても感動的な場面に遭遇させてもらっていることにとても喜びを感じることが多いです。

目の前で起こる全ての出来事に学ばせてもらっている感覚を感じることも多く、ずっと今後も人生の学び、魂の学びとして
恵まれたご縁に感謝をしながら、成長をし続けていきたいと心から思っています。

 

 

 

 

“swan”という名前に込めたわたしの想い

2015年、私はそれまで使っていた屋号から「Healing Room Swan」という名称に変更しました。

この「swan」の意味。

他者との違いに悲しい想いや苦しい想いをすることが多かった私の子供時代。

そんな私は、いろんな方のサポートやご縁に恵まれながら、自分を理解し、また自分の特性や個性を肯定的に捉えることができるようになりました。

それは、一度閉じた羽を広げるように、閉ざしてしまった心をもう一度開いていくかのように、自ら自分の光を見出していった「みにくいアヒルの子」から取ったネーミングです。

また、これまで善悪や陰陽、正誤等・・・いろんな二面性の中に世の中は存在してきました。でも、時代は「統合」の世界へと移行し、

あらゆる多面性を受容していく時代へと流れてきています。

そんな中で、ブラックスワン(黒鳥)とホワイトスワン(白鳥)をシンボルに、白でも黒でも、何色でもない、全てのカラーが共存していく、調和していく願いを込めて「swan」をシンボルに使っています。

 

 

 

 

メッセージ

子ども時代から「ちょっと変わった子」として扱われ、

そんな「変わった子」とされている自分を長い間、否定し続けてきました。

 

白黒はっきりしていながらも、

自信のなさから、その両極端を行き来し、その狭間にあるグレーとして安全に留まろうとしていた子ども時代。

でも、私は自分自身や癒されることによって、

そのグレーの中に、当時からすでにあった「カラー」、たくさんの「色」に気がつけるようになったのです。

 

 

今でこそ、たくさんのカラーがあるランドセルですが、当時は女の子は「赤」が主流だった時代、

私の祖母が私に買ってくれたランドレスは綺麗な「オレンジ色」でした。

当時、密かにその「オレンジのランドセル」を気に入っていて、結構堂々とそのランドセルで学校に通っていいたことを思い出したのは、本当につい最近、大人になってからの出来事です。

 

そんなふうに、「否定ばかりされてきた」「理解してもらえなかった」、そう感じていた過去の記憶は、

たくさんの癒しや変容、覚醒が起こることによって、過去の捉え方にも変化が起こり続けています。

当時、色を失くしたかのように思えた小学生の頃にも、

すでに私は堂々とオレンジのランドセルで通学をしていたのです。

 

 

少し前の私であったのなら、きっと諦めていたかもしれない、チャレンジすることさえ躊躇したかもしれない、

そんな出来事を目の前にした時も、

「やってみたい」という素直な想いを大切にできるようになった「今」があります。

 

 

過去の失敗やトラウマに無意識のうちにとらわれていたことから解放され、

内側に抑圧されていた癒されていないインナーチャイルドが癒されることによって、

私は、より「わたし」という真実に近づき、

そして、羽を自由に広げることができるように、自由な自分になっていきました。

 

 

あんなにも私が10代の頃、求め続けた「自由」というものは、

私の内側に、ずっと存在しているものだったのです。

 

 

時代は、自ら自分の人生を創造していける「創造性」の時代になりました。

それは、自らが「望むことによって」、そして「願うことによって」、どれだけでも現実を変化させていくことが可能なのです。

そのためには、自然に力を抜いた状態で、表面的だけではなく、内側から「望めるようになること」、「願えるようになること」が大切なのだと感じています。

 

 

「心理学」との出会いを含めれば、内側にフォーカスをするようになってから、もうすぐ20年が経とうとしています。

その後、エネルギーの世界、ヒーリングや錬金術との出会いがあり、理論や知識だけではどうにもならなかったようなことに変化が起こるということ、どれだけでも望んだだけの変容を自らが起こしていける、という現実を目の前にして、「奇跡」というものが特別な誰かや、特別な場面だけで起こるものではないことを実感する毎日です。

 

「癒し」や「変容/覚醒」を促すツールは今、世の中に多く存在していて、私たちはそれを自由に選べる時代にもなりました。

これをお読みくださっている皆さまが、

より幸せで豊かな日々を過ごされますように、

必要なときに、それをサポートする最善のツールや場面や人との出会いがありますことを心より願っております。

 

もし、お手伝いをさせていただけるご縁をいただきました際には、精一杯最善を尽くさせていただきたいと思っています。

 

 

Naoko

 

 


 

♥Love&Like
Food:チョコレート
Book:アルケミスト/小さな宇宙人アミ
Movie:Love Actually
Actor:ヒュー・グラント/佐藤浩市
Artist:マルク・シャガール/草間彌生
Song:The Rose
Place:Trafalgar Square (ロンドン)

 


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【保有資格及びスキル】

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・銀河神界/地球神界/日本神界ワーカー

・シャーマンエンジェル

 

—–その他—–

認定心理士(日本心理学会)

産業カウンセラー資格(日本産業カウンセラー協会)

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